2021-06-22 11:52:05
|
コメント(1)
勇次郎の父親が、ひとつぶ種の異変に気がついたのは、母親から相談を受けた日のことだった。
「毎日麓に立ってるって?」
「婚約破棄されて、たまこが居なくなって、ダブルショックのせいか、最近、妙ちくりんな事ばっかりするようになって。外に出ては猫をジィィと、それはもう、真剣に眺めてたりしてるんやわ」
「猫をジィィ、たまこが居なくなったのがそんなにショックだったのか……」
「小学生が帰る頃になると、日暮れまで麓に立ってるし」
「理由は聞いたのか?」
ビールを煽り、焼き竹輪を齧りながら父親は、ふと心配になり問う。様々なニュースが脳裏を走る。
「聞いても、たまこがもうすぐ手に入るとかなんとか……、最後の望みとか、いいんだ勝手にしてるだけとか、雑誌を眺めてニマニマ笑って、……。そうかと思えば、アレを使うにはとか、思い詰めてブツブツ言ってるし、麓で変な噂になってるし」
変な噂?くちゃりと噛んだ竹輪の破片と共に、エキスをゴクン。飲み込みながら、聞き返した父親。
「ミョウガ坂の赤い原チャリオトコ」
「なんだぁ?それ?」
「小学生の間で、ミョウガ坂を自転車で下ってると、三毛猫を頭に乗せたオトコが、赤い原チャリに乗って追いかけてくるんだって……。勇次郎の事じゃないわよね?ね?」
「違うだろ?俺らの子どもの頃だと、坂の一番上の家には猫男が住んでて、十秒、家に背中を向けてたら、そいつが追いかけてくるって話だったぞ?背中向けて、十、数えてからスタートするのが決まりだったな。で、あいつ……、さっき下のコンビニにいたけど。大丈夫なのか?」
「ああ、今日はお気に入りの雑誌が、入る日とか話してたけど。駅前に買い出しに行ったときには、出てなかったのかしらね。大丈夫!私達の息子だもの!」
父親は漠然とした不安を感じながら竹輪を齧る。広がる塩気が喉の乾きを誘う様に感じた。もう一本!湿気った空気を払いたく、大きな声を出すと立ち上がり、冷蔵庫から缶ビールを取り出した。
年齢のせいか、夜中のトイレに頻繁に起きる父親は、裏庭に面している窓に何気なく目を向けると、離れのプレハブ小屋の窓にしっかりとした蛍光灯の灯り。
……?なんだ?本を読むとき位しか、あいつ蛍光灯なんかつけないと、言ってたはず。夜中に仕事をする事もあるってボヤいているけど、パソコンやタブレットだし、灯りなんかろくすっぽつける事なんて。無かったよな。今迄……。
赤い原チャリオトコ。不安が蘇り過る。声を出す。
「誰か来てるのか?」
カラカラ。窓を開けると湿気に混じり、裏庭を侵略した茗荷の葉擦れの音。土の香りが父親の鼻孔へ幽かに入り込む。ガサガサ!カサカサ。入り込んでいるらしい、猫が通り過ぎる音が明かりに薄らと照らされてる、茗荷の藪に響く。
キィ……。気になり勝手口に回ると裏庭に出る。ガサリガサリ、クニ、クニ。足の裏で感じる、伸びきった青い茗荷を踏みしだく感覚。
プィーン。耳に餌を求めた、藪蚊の羽音。何故か泥棒の気分になりつつ、コソコソと気配を消し、簡素な住まいに近づくと……。息子の声が聴こえた。
「たまこぉぉ!うぉぉぉぉぉ!たまこぉぉ!また!また……。ウッウッウッ。やっぱり外れたぁぁぁ。仕方ない。ここは……、いよいよ行動に移すか。たまこを手に入れる為に!」
息子の雄叫びとも取れるソレが、父親のまだ幾分残っていた眠気をふっ飛ばす。
……、なんだ、なんだ?何が外れて、死んだたまこを手に入れる?
オカルト世代と呼ばれる、ホラー映画ににどっぷり浸かって育った父親の脳裏に、あんな事やこんな事が次々思い出される。
……、山の中にもしかして、ストーンサークルがあって、そこに死んだ、たまこの猫毛の一本、供えたら復活するとか?それってゾンビだったか?それとも、八十八ヶ所巡礼の逆打ちの旅に出るとか?猫のために?それとも、先ずは手頃な猫を生け捕りにし、そしてぬいぐるみに、たまこの猫毛を仕込んで。
ヤギとかもしくは雄鶏……、祭壇に生贄を捧げると、主を呼び出し、蘇りの術とか……
オカルトなあれこれが、脳裏に浮かぶ父親。ゾゾゾと冷たいモノが背筋を走る。
「用意は完璧だ。銀の針も少し、アルミホイルで先を磨いてみた……、先ずはコレを隅々まで、読み込まなければならない。たまこ。たまこ!頑張るぞぉぉ!」
ミョウガ坂にざわめく風が吹き過ぎる。
たしかに余程のイクメンではない限り、父親と息子の心の距離というのはありますよね。
不器用ながら息子を心配するお父さん。
細やかな描写。
焼きチクワ食べたくなりました。(え?そこ?)
食いしん坊な私でした…。